白梅幼稚園の軌跡

 平成24年6月発行の「馬橋だより」の中に白梅学園理事、樋口秋夫氏による「杉並時代の白梅幼稚園」と題する馬橋小学校の隣に有った幼稚園の創立当時の思い出を綴った文章がありました。

 当時の記憶も少なく、写真の保存も少ない中でも懐かしい思い出です。

そこで、同窓会関係の方から紹介を頼んで執筆者の樋口秋夫氏に当時の資料等の保存状況をメールで尋ねた所、親切にも白梅学園短期大学付属、白梅幼稚園平成2年編集発行の「白梅幼稚園の軌跡」300ページに及ぶ資料を提供していただきました。

 その内容は、創立40周年の記念として園のあゆみ、白梅幼稚園の教育、同窓会の40年、当時の先生方の座談会、白梅を語る、資料等の大変貴重なものです。

 いつも話題となるクラスの数は、29年在籍当時で10クラス、あか、あお、き、しろ、ふじ、みどり、もも、おれんじ、ちゃ、むらさき。

 あかは年少、あお、きは年中、しろ、おれんじ、もも、みどりなどが年長だったそうです。昭和29年度卒園者は249名。一番園児の多かった時でした。

 

当時の先生方の座談会からの抜粋を紹介すると、

白梅幼稚園創立当時の先生方の座談会

 

●山口先生は昭和26年から33年までいらっしゃったのですね。

 そうです、私は26年に樋口先生と中村先生が面接してくださったのです。

●その時1クラスはどれ位の人数だったのですか。

 37から38名で40名はいませんでした。

 その後クラスもどんどん増えて、それも1年保育がいっぱい増えていくんです。

 それでちゃ組、むらさき組なんかも作りました。

その時西田先生、広谷先生などいっぱい、女子大出とか師範学校での先生が

 入っていらっしゃいました。

●保育者は8時30分出勤でそれからストーブに火を着けるわけですが、当時は

暖房も古道具屋で調達した、だるまストーブで火を着けるのに苦労していました。

●2年目から牧野園長先生で、小林宗作先生がリトミックを教えに来てくださいました。最初の頃の人たちは本当に恵まれていますよ。

 樋口先生は、そのことに誇りを持っていらして、立派な先生をお連れになるのがとても上手でした。

●今井先生は28年からご一緒で、とてもピアノが上手なので、全部ピアノを

 お願いしていました。この頃の歌といえば、「チューリップ」「さくらんぼ」「「おたまじゃくし」「つばめ」「もみじ」「お山の杉の子」「小さい雀」「くまの子」「てぶくろ」を歌わせてました。

 お弁当の歌と言えば♪「お弁当 お弁当うれしいな、おててもきれいになりました。」でしたね。

●保育は6領域で行われ、すべて担任に任されて自由にやっていました。

 生活の歌を中心に自由あそびが終わって部屋に入り、椅子に座るとオルガンで♪「しずかにするのは、おもしろい、おはなも、ちょうちょもみなしずか」を弾いて静かにさせてから、話を始めるとか、帰りには♪「きょうもたのしくすぎました、

なかよしこよしでかえりましょ、せんせいさよなら、またまたあした」と歌わせて降園させるわけです。

●昭和28年には園児数がうんと増えて、むらさき組もできて1クラス45名、しろ、おれんじ、みどり、それからあお、き、ももが有りました。あかは3歳児で4歳児があお、き、もも、それにむらさき、ちゃ、ふじ組なんかもあり、全部で10クラスの大所帯でした。

●何しろ遠足に行くでしょう。親も一緒だから十数台つらねて行くわけです。壮観でしたよ。父母同伴をやめるよう提案した事も有ったが、当時母親から、姑に気兼ねなく出てこれる年に一度の楽しみを続けてほしいとの強い要望が出されたためそのままの形で続行されました。

●毎月の行事としては、誕生会がありこの日は保育者手作りのメダルとまりのプレゼントがあり、牛乳とパンを食べて誕生を祝った。

●週に一度の割合で二階の講堂で、幻燈を子供たちに見せた。

●秋の運動会は年長組の子供たちが、隣の馬橋小学校の運動会に例年参加し、小学校との交流をはかる機会となった。続いての幼稚園の運動会は、10月下旬に園庭で行われた。

●12月のクリスマス会は「クリスマスゆうぎ会」と銘打って行動で行われた。うた、げき、ゆうぎ、リズム、合唱、パントマイムを園児、保育者、PTA有志で行った。

●合奏もたくさんやりましたよ。年長さんはクラスで一つ合奏する。

 カスタネットを全員に持たせて、

●口へ筆をパッとこうやって、じーっと真っ白な紙の上に、ひゅうひゅうと絵をかくのよあの子どうなったのかと話してました。画用紙も大きかったですよね。

 

2013年クラス会

10月27日のクラス会の様子が出来ました。

 

3組の仲間たち
3組の仲間たち

2018年6月のクラス会