白梅幼稚園の頃

創立当時の園舎
創立当時の園舎

6月発行の馬橋小学校同窓会だよりに「杉並時代の白梅学園」の記事が

白梅学園理事 樋口秋夫氏の執筆により掲載されています。

馬橋小学校に隣接しており、高円寺、阿佐ヶ谷付近の児童が通っていました。

同期の仲間と飲む時は決まって、お前何ぐみ?などの話が繰り返し出ます。

ちなみに私は、昭和30年卒業でももくみでした。私たちが生まれた昭和23年に小石川から高円寺に移転した事、馬橋小学校開設に際して校地約5百坪を割譲したと校史に記録があるそうです。記憶では、馬橋の運動会に毎年卒業年度の園児が参加して、大きな先輩たちとお遊戯か、かけっこか、した様な?

現在は小平市に幼稚園、中学、高校、大学を擁する総合学園と成っているそうです。

※馬橋だよりの記事全文は掲載許可を問い合わせ中

杉並時代の白梅幼稚園

         杉並時代の白梅学園

                    白梅学園理事 樋口秋夫

 

 現在、小平市にある白梅学園は小規模ながら幼稚園、中学、高校、大学を擁する総合学園となっている。この学園はかって杉並に校地があった。馬橋四丁目五百番地。馬橋小学校の隣、NTTと秀和レジデンスが建っている場所である。今から40年以上も前のことで、もう知っている人も少なくなってきた。

 白梅学園は前身を東京家庭学園といい、昭和17年、東京小石川に女子の高等教育を目的に設立された。創立者は社会教育のパイオニア小松謙助、初代学園長は東大法学部長や東宮大夫をつとめた穂積重遠であり、戦時下に自由な校風を重んじたユニークな学校であった。学園は昭和203月の大空襲で建物施設の一切を焼失しながらも、戦後の苛烈な時代を乗り越え活動していたが、あらたな展開を図るため旧陸軍気象学校跡の国有地に新校地を得たのであった。

 昭和23年、小石川から杉並に移転した当初は教養主体の学校に生徒が集まらない時代で、苦しい経営が続いた。これを打開すべく、英語、音楽、バレエ教室なども開講した。そんな中、昭和25年には、家庭学園で保母資格が取得できた経緯や地域からの強い要望で、東京家庭学園付属「白梅幼稚園」を開設した。ベビーブームや教育方針が受け入れられたこともあって、開園当初から入園希望者は多かった。また、児童クラブなどの地域活動も活発に行った。これが契機となり、学園は保育・幼児教育の学校へと転換したのである。その後、校名を「白梅学園」と変え、短期大学となり保育科、心理学科を開設するなど発展していく。なお、校史によれば、馬橋小学校開設に際して、校地約五百坪を割譲したという記録がある。

 昭和37年頃、電電公社から校地買収の申し出があり、さらに広い校地での一貫教育構想を実現するため、これを受け入れることとなる。昭和39年、学園は小平に新校地を得て移転した。その後しばらく幼稚園と短大夜間部は杉並校地の一部で活動を続け、移転が完全に終了したのは昭和45年のことであった。草創期を過ごした杉並に感謝すると同時に思い出は尽きない。(24.4.4

 

2013年クラス会

10月27日のクラス会の様子が出来ました。

 

3組の仲間たち
3組の仲間たち

2018年6月のクラス会